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コミノ島
地中海に浮かぶ小さな宝石
コミノ島はゴゾ島とマルタ島の間に浮かぶ3.5㎢ほどのとても小さな島です。
どれほど小さいか…というと、成田空港の1/3、皇居の敷地面積では、わずか3個分。定住人口はわずかに3人(2017)ほどで、夏の間だけ観光客で賑わいます。
島の周りは、ボートが浮いているのかと思えるほどに透き通る海、そしてビーチに切り立った崖・・・まさに地中海の宝石と呼ぶにふさわしい島です。
ゴゾ島やマルタ島からのアクセスも良いので、日帰りで行けちゃいます!
ブルー・ラグーンと呼ばれるマリンブルーの海が目にまぶしい、とてもきれいな入江もあります。
まさに秘密の楽園と言えるのではないでしょうか。
Photo by Flavio Ensiki via Flickr
もくじ
マルタ島からのアクセス
コミノ島に行くにはこの港!Cirkewwa(チレカワ)港へ向かう
まずはレンタカーかバスでCirkewwa(チレカワ)を目指します。
ここはマルタ島最北端に位置する港で、ゴゾ島やコミノ島に向けたフェリーが運航しています。
ここへのルートは数多くありますが、バスの本数は日本と比べると少なめなので、事前に時間をよく調べておきましょう。
《Cirkewwa(チレカワ)港へのバス》
・スリーマから:ルート222
・マルタ空港から:ルートX1
・バレッタから:ルート41、42
・メリーハーハから:ルート101
・ブギーバ・ベイから:ルート221
→バスのルート検索はこちらから。
チレカワからコミノ島へ、フェリー移動
チレカワからコミノ島に行くフェリーはひとつしかないので、迷わず行けるはず!
コミノ島の景勝地である「BLUE LAGOON」か「COMINO」と看板に書いてあるところに向かいましょう。
わからなければ、近くにいるマルティーズに英語で聞いてみましょう!
おすすめアクティビティ
ブルーラグーン(BLUE LAGOON)
とてもきれいな海岸で、パラソルやビーチチェアなどを借りてくつろぐことができます♪
ただ、ビーチは広くなく、また非常に人気なので、朝行かないと混雑し、場所も確保できないことも…。
可能なら平日の朝いちばんを目指すつもりで行きましょう!
さらに、クルーズも楽しめ、もちろんマリンスポーツも盛ん!
ボートやシュノーケルを使ったウォータースポーツ体験なども格安で体験できます。
語学学校もしくはトリップアドバイザーなどのサイトから予約できるので探してみてくださいね。
コミノ島の観光地
聖メアリーの塔(Great St Mary’s Church)コミノ島にあるセント・メアリーズ・タワーは1618年にマルタ騎士団によって建てられた、高さ12メートルもある石造りの要塞です。もともとはマルタ島とゴゾ島の間を行き来する船が海賊に襲われるのを防ぐために作られ、その後はマルタ騎士団で軽犯罪を犯した者が、懲罰的な任務として駐屯させられていました。その後は牢屋や兵舎から、病院、冬の家畜舎等に使用されていました。1982年から2002年までは監視所としてマルタ共和国軍が使用し、現在はナショナルトラスト・マルタの管轄になっています。
ビーチで楽しむ以外にも、コミノ島にたたずむ白く美しい要塞の中で、400年の間にここに住んでいた騎士団、ナポレオン軍、イギリス人、そしてマルタ人に思いを寄せ、歴史を感じるのも良いかもしれません!2006年には、マルタ郵便局の公式切手にもなりました。 |
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コミノ教会(Comino Church)ほとんど島の住人はいないものの、中世社会では、どこかには祈りの場所が必要でした。そのため1296年には小さな教会ができ、観光地化が進んだ1970年代からはホテルの従業員などが祈りの場として使用するようになったので、現在も綺麗な状態に保たれています。
ネオゴシック調で800年もここにあったとは思えないほど、白い壁の非常にシンプルな教会です。800年間の間にここに祈りをささげてきた人たちのことを考えてみるのもいいかもしれませんね。> |
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聖メアリー砲台1716年に建造されました。西コミノ海峡に面しており、今でも24ポンドキャノン砲が残っています。 平和な地中海になぜ要塞?と思うかもしれませんが、この年代には地中海や東欧における争いが多発しており、例えばオーストリアとオスマン帝国の戦いなどもありました。 結局、戦闘を経験することは一度もなく、マルタ騎士団が作った兵舎などの跡が残っています。 |
生活情報
- 非常に小さい島なので、車はほぼありません。2,3台あっても、すべて個人かホテルの所有物です。
- ホテルはあまり多くなく、満室のことが多いため、宿泊をご希望の場合には事前に予約をしておきましょう。
- コミノホテルではマウンテンバイクもレンタルができます。サイクリングで島を一周するのも◎!
コラム
コミノ島の歴史
マルタ島、ゴゾ島はギリシャ時代、ローマ時代を通じて入植地として発展しましたが、コミノ島はその小ささと交通の便の悪さも相まって、ほとんど発展してきませんでした。この島に人が住むようになったのは中世以降、それも居住地としてではなく、海賊の隠れ家や襲撃拠点としてでした。理由は、地中海貿易の航路に近かったので、すぐ襲えたうえ、洞窟や洞穴だらけのコミノ島の海岸は船を隠すのに適していたため。法の支配が及ばず、誰が領有しているか定かではなかったかつてのコミノ島は、亡命者や迫害された人たち、逃げてきた犯罪者たちも潜伏していました。
聖ヨハネ騎士団がやってきた!
11世紀初めごろから聖地エルサレムを「奪回」しようとしたヨーロッパのキリスト教諸国がおこした「十字軍」という運動がありました。中東の海岸部分の領土を支配下におき、「十字軍国家群」を作り、イスラム勢力と一進一退の攻防を繰り返していました。そんな中、現地で生まれたキリスト教の信仰を守りながらも外敵とも戦うという「騎士修道会」がいくつも誕生し、そのひとつが聖ヨハネ騎士団、後のマルタ騎士団でした。しかし、1290年にアッコンという十字軍国家群最後の都市が陥落すると、聖ヨハネ騎士団はロードス島というところに移りましたが、そこも1522年に追われ、最後に落ち着いたのがマルタ島でした。
聖ヨハネ騎士団統治下のコミノ島
騎士団という名前ながら、聖ヨハネ騎士団、のちのマルタ騎士団はかなり国家化していました。彼らはマルタ島とゴゾ島にそれぞれ拠点を置き、地中海貿易の中心となったり、キリスト教徒の地中海交易船を護衛したり、反対にイスラム教徒の交易船を略奪したりして、日銭を稼いでいました。当時のコミノ島は、野生のいのししやウサギを狩猟して余暇をすごす場所として使われていました。前述のとおり、コミノ島には海賊が潜み、時折マルタとゴゾをつなぐ海路を襲撃していました。またイスラム勢力が、またいつマルタに攻めてくるか分からず、防衛に備える必要もあって、コミノ島にセント・メアリーズタワーという要塞を1618年に建造しました。
その後のコミノ島
結局、心配されていたイスラム勢力の侵攻は、1565年のオスマン帝国によるマルタ攻囲戦以降ほとんど起こらず、時々略奪にやってくる海賊と小規模な戦闘があるだけでした。オスマン帝国はこの時代に徐々に衰退していき、コミノ島が歴史の表舞台に出ることはほとんどありませんでした。その後、マルタ島全体がフランスやイギリスの統治下に入った時代もあり、第一次、第二次大戦で地中海が戦場と化したこともありましたが、コミノ島はあまりにも小さく目立たない島だったため、平穏そのものでした。 戦乱が遠ざかった現代では静かで、自然豊かな中に、地中海の風に包まれた要塞と聖堂が往年をしのばせています。